読んだら書きたくなりました vol.134
『「待つ」ということ』
鷲田清一 角川選書
「予断を許さない」とは、状況や展開が不確定で見通しが立たないことをいいます。昨今の世界(人間界〈の大部分〉ほか。蟻やタンポポの世界はどうかとふと思い補足しました。何も世界は人間ばかりのものではありません。以下「社会」の意味合いもこれに準じます)の状況はそれによって形容できるでしょう。SNSをはじめとするコンピュータネットワークや交通網の整備に伴って加速化する世界。その世界に突如として台頭した新型コロナウイルスですが、人、モノ、コトを高速移動させる手段が感染拡大を助長する一因になっています。その手段によってコロナ対策が図られてもいますが、生活を豊かにするために生み出され、利用しているものから被害を受けるとは何とも皮肉なことです(全面的ではないにしろ、人間も他の生物や自然環境を脅かしていることがあると思うとなおのこと)。自分の属する社会がある程度安定化して変わりにくい日々が続き、技術的に待たずとも望んだ結果が比較的早く得やすくなり、というように、予断したことが実現されやすくなると、予断する行為が好むと好まざるとにかかわらず常態化し、「待つ」ことが困難になります。それはつまり、未来が現在の延長線上にあると捉えすぎるあまり、「未」だ「来」ていない、既知の派生態ではない未知に対して不寛容になることだと本書を読んで痛感しました。語弊を恐れずにいえば、いつ感染するか、感染させるかが判然とせず、死の恐れのあるコロナの台頭は、わたしたちに改めて「待つ」ことができるよう胆力の養成を促し、延いては生の実感を高めさせている面もあるのではないかと思います。この生物多様性の一つが教えてくれるのは何も脅威だけではありません。各々が感染リスクから自分の行動が社会にもたらす影響を身をもって感じたり、リスクの根源たるそれに敵対意識を持ったり(ルサンチマンとしてコロナではない対象を敵視する向きもありますが)と、次元は違えどもコロナは結果的に人々に連帯意識を建設的に用いるよう喚起させてもいます。兎にも角にも、わたしはこれまでの人生のようにできることをし、いつか訪れるかもしれないコロナの収束(またはコロナとの安全な共生関係)を、そしてコロナの影響を問わず自身の死を「待つ」だけです。(くろ)
『リサとガスパール キティちゃんをパリでおむかえ』
アン・グッドマン:著 ゲオルグ・ハレンスレーベン:著 やまぐちゆうこ:著 やまもとともこ:訳 光文社
リサとガスパールのいるパリに、キティちゃんがやってきます。2人はキティちゃんに喜んでもらいたい一心で、プレゼントを考えたり観光に連れて行ったりと、たくさんのおもてなしを考えます。さて、リサとガスパールは何をあげたのでしょうか? そしてキティちゃんは? 世界中で愛されているキャラクターの豪華コラボレーション。ゲオルグ・ハレンスレーベンが描くパリの街並みがアート。キャラクターの愛らしさがどのページにも溢れています。はっきり言って無条件にカワイイ。物語のエンディングはくすっと笑えて、リサとガスパールが楽しそうに遊ぶ様子が微笑ましいです。プレゼントにも良いと思います。実はわたしもいただいたのでした。(もん)