ぷれすスタッフによる不定期連載コラム
なんでも書いていいって言ったじゃないか! 第9回
ぶどう寺
三輪しののい
参拝のあとにワインが飲めるお寺があると耳にしたので、何人か連れ合いに声をかけてみたところ、そのうちの一人が付き合ってくれることになった。意気揚々と指定席特急券を買って、新宿駅で待ち合わせ。九月の日曜日、いざ山梨県はぶどうの郷、勝沼ぶどう郷駅まで。
中央本線というと「あずさ」が有名だが、乗ったのは「かいじ」でこちらのほうが乗り換えなしで早く着く。乗車時間は1時間半かそこら。中央線の駅をびゅんびゅん通過していく。しかし、立川くらいまでは何度も足を運んだことがあるので、車窓からの風景に新鮮味がない。
東京を出て山梨に入るとようやく景色の雰囲気も変わり、緑豊かな様子が目に飛び込んでくる。旅はこうでなくてはいけない。知らず知らず山を登っているらしく、ふと反対側の窓に目をやると盆地が広がっていた。天気もいいし空も深く、立体感のある白い雲がじゃまをしない感じで浮かんでいる。
さて、勝沼ぶどう郷駅に到着である。予想以上に降りる人が多くて驚く。家族連れも目立ち、きっとぶどう狩りに来ているのだろう。駅構内の壁にぶどう園の案内がいくつもある。
お寺は大善寺といい、タクシーで5~10分。のんびり行こうと、改札を出てとりあえずトイレに行って戻ってくると何やら列が……。なんとタクシー待ちである! 慌てて並んだものの後ろも後ろ。しかもいっこうに進まない。車の絶対数が明らかに足りないのである。周りに店もなく、あるのは交番だけだ。
みんなタクシー待ちに面食らったらしく、旅行案内所に駆け込んでは、がっかりした様子で出てくる。バスもルートが限られ、しかもシーズンゆえ道が混んでいて遅れているらしい。
気持ちを切り替え、これも旅の楽しみとばかりに最初は遠くそびえる南アルプスの景色を眺め、写真を撮ったり、順番で辺りを散策したりしていた。しかしさすがに飽きる。それに暑い。
窪地を隔てて対峙するのは「ぶどうの丘」なるアミューズメント施設で、宿泊はもちろん、レストランやワインカーヴ、露天風呂まで兼ね備えている。直線距離では遠くないが、坂を上って下りてと見るからに徒歩ではきついのがわかる。お腹もすいたし、そこに美味たるものがあると思うと、いつしか「ぶどうの丘」が桃源郷のように思えてくる。なんせもう50分も待っているのだ。いや桃源郷ではなく「ぶどう源郷」か……などと朦朧としてきたところで、ようやく順番が来てタクシーのドアが開いた。駅到着から1時間が過ぎていた。
「いまが一番混む時期ですからね。遠回りにはなりますが、そのほうが渋滞を回避できるんで」
運転手さんはそう言って、ぶどう棚の広がる道を軽快に飛ばしてくれた。そういえば信州の実家でも祖父母がこうしてぶどうをつくっていたな、と帰省時の子どものころを思い出す。
渋滞に巻き込まれることなく、15分くらいで無事に目的の大善寺に到着した。受付で拝観券+グラスワインの料金を払ってお寺に入る。
大善寺は奈良時代から1300年の歴史を刻み、本堂である薬師堂は鎌倉時代に建立されている。関東周辺では最も古いとされ、国宝である。武田信玄のいとこと言われる理慶尼は、ここで武田家の最期「武田勝頼滅亡記」を記している。石段を上って最初に迎える山門は、官軍と戦う新撰組の近藤勇の絵にも描かれている。
石段を上りきると正面に見えるのが薬師堂で、24メートル四方という大きさ。縁側が広く取られ、檜の樹皮を使用した屋根(檜皮葺き)も大きく、重厚で落ち着いた雰囲気を漂わせている。
この薬師堂は、甲斐を訪れた行基上人が、祈願を続ける最後の日である満願の日に、夢に現れた薬師如来をつくって安置したことに由来する。珍しいことに、その薬師様の左の手のひらにはぶどうが載っていた。そこで民衆に法薬としてぶどうの栽培を教えて、この地にぶどうが広まったらしい。大善寺の別名はぶどう寺である。
靴を脱いで中に入る。それほど人は多くなかった。自由に仏像を拝観できるのだが、ぶどうを手にした薬師如来は秘仏として厨子に納められており、御開帳のとき以外は写真でしか見ることができない。一緒につくられた日光・月光菩薩も同様だ。
ただし、日光・月光菩薩は鎌倉時代にもつくられ、こちらは厨子の両脇の檀上に鎮座している。250センチ近くあり、秘仏の約2.5倍の大きさである。壇上にはその2像に加え、干支にちなんだ十二神将立像がそれぞれ6体ずつ安置されている。檜でできた140センチ前後の像は赤や金の彩色が施され、目には水晶がはめられている。薬師を守る侍者がゆえに形相は鋭い。
じっくりと歴史を感じながらそれぞれの仏像に手を合わせ、鐘楼や、石段を真下に眺める楽屋堂なども見て回った。
次はいよいよ旅の目的、拝観後のワインである。
受付のあった庫裏へと戻っておじゃますると、収穫ケースに入ったシャインマスカットがいくつも積まれていた。実は宿泊施設を備えた客殿のある広い建物なのだ。
「テーブル席でも座敷でもどちらでもよいですよ」と案内され、景観のよい広々とした座敷にすることにした。襖を取り払い、趣のある座卓が置かれ、奥の廊下には大きな鉢に植えられたぶどうが飾られていた。
開け放たれた戸から涼しい風が入り、県指定文化財でもある滝や築山のある庭園に響く水音が耳に心地よい。時折、蝶やとんぼが部屋に入り込んではしばらく好き勝手に飛び回る。その姿を追うと、長押(なげし)に飾られた書や水彩に目を引かれ、それらを眺め見ているうちに虫たちはどこかへ飛び去っていた。季節の終わりを感じる秋蝉が遠くから聞こえてきて、そこにアクセントをつけるように鳥が高らかな声で鳴く。
ワインは丸い木のお盆に載せられ運ばれてきた。涼し気なガラス小皿には数種のぶどうが何粒か入っている。連れ合いはお酒を飲まないのでぶどうジュースだ。乾杯をして軽く冷えた赤ワインを口に含むと、ふわっといい香りが鼻をくすぐる。このワインは、住職と檀家がめいめい育てたぶどうを持ち寄ってつくっているものらしい。大善寺の始まりを思うと、ご利益のあるワインという感じがする。
小皿のぶどうもまたおいしく、噛むとじゅっと甘みがあふれ出てくる。朝に少し口にしただけで、それからずっと何も食べていなかったのだ。時計を見ると午後3時。ぶどうのみんな、ありがとう。そう言いたくなる。
駅での1時間待ちに始まり、少し疲れていたけれどすっかり元気になった。薬として広まった甲州ぶどうは、良薬でいながら口に甘かった。
日が傾き始め、光の色が少し褪せると、タクシーの窓から見えるぶどう棚の数々も来るときとは少し違った雰囲気があった。
信州の実家で、生前、祖父母がつくっていたぶどうのことをまた思い出した。
自宅で食べるくらいの規模だから、さして大きくはない。子どものころ夏休みの帰省はお盆の期間で、ぶどうの収穫にはまだ早かった。トマトやナス、キュウリにシシトウと畑で育てた野菜の数々を祖父母と一緒にハサミで収穫できたけれど、ぶどうは白い傘がかけられているのをぼんやりと見上げるだけだった。
秋になると実家から送られてくるのだが、嫌というほど食べて育ったせいか、ぶどうに対する特別感はなくなっていた。だから、さして口にすることもなく過ごしてきたし、祖父が亡くなる少し前にぶどうの木を切ってしまっても寂しさを感じることもなかった。もし収穫体験があれば少しは違ったのかもしれない。
人はただ与えられるばかりでいると、本当のありがたみや感謝を抱けなくなる。
祖父母に「まだ小さいからもう2、3日待とうか」と言われ、毎日お目当てのトマトやナスなどを見に行っては確かめているうち、なんだか愛しくなって切るのが可哀想に思えたものだ。パチンという音とともに、手のひらに収めた野菜はどれも予想より重かった。だから台所の母親に伝えて、「これは僕のだからわかるようにお皿に盛りつけて」とお願いして大切に食べた。ぶどうにはそれがなかった。
タクシーの窓ごしのぶどう棚を前にして、いつしか子どものころの自分が祖父母とぶどうを収穫する様子が目に浮かんでいた。野菜のときと同じように成長具合を毎日確かめる。いよいよ台に乗って慎重にハサミを入れ、手のひらに大きなぶどうを収める。まだ手が小さくてこぼれ落ちてしまうのではないかと、祖父母が横で見ていてくれる。
手のひらに載せたぶどう―――。
空想は続き、祖父母とともにぶどう棚の下、3人で食べる様子が浮かぶ。すると目頭が急に熱くなって涙があふれてきた。
記憶にもない2歳くらいのころ、「ぶどう」と言えず「ぶろう」と言って喜んで食べていたという話を、祖父母や両親から何度聞かされたことか。そうなのだ、ぶどうこそ自分が初めて好きになった食べ物なのだ。それに気づいたとたん涙が止まらなくなってしまった。
連れ合いや運転手さんに気づかれないように窓に顔を近づけて、しばらくゆがんだ景色を見ていた。
ワインが飲めるお寺という珍しさに導かれて出かけた勝沼。久しぶりに食べたぶどうは、ことのほかおいしかった。まさか薬師如来のぶどうが実家のぶどうの記憶につながるとは思いもよらなかった。いい薬になるとはよく言ったもの。ぶどう寺で僕はその薬をしかと手のひらに収めたのだ。
すっかり見慣れた勝沼ぶどう郷駅に着く。タクシーを降りたとき、僕の影はずいぶんと長くなっていた。頬に当たる風が少し冷たかった。
〈出版の窓〉
秋になると、いたるところで目にするようになる「ボージョレ・ヌーヴォー」の文字。フランスのボジョレー地区でつくられた新酒の意味で、その解禁が毎年11月の第3木曜日と決まっています。時差の関係上日本が一番に飲めることで有名です。ちょっと「ボージョレ・ヌーボー」じゃない? 違うよ「ボジョレー・ヌーヴォー」。おいおい中黒じゃなくてアキだよ……始まりました、表記問題です。論より証拠と各自手に入れたいろいろな瓶のラベルを見せ合ったところ。あれあれ? 議論は平行線に。そうです、輸入元の販売会社によって違うのです。つまり「みんなちがって、みんないい」と金子みすゞ的なのです。これだけ有名でいながら表記揺れが続くという不確定さも、このワインの持ち味なのかもしれませんね。
ちなみに、知り合いの校正者は自分のしっくりくる表記のものを選んで飲むそうです。
《著者プロフィール》
三輪しののい
1976年生まれ。神奈川県出身。