ぷれすスタッフによる不定期連載コラム
なんでも書いていいって言ったじゃないか! 第4回
足元を固めろ
三輪しののい
靴が好きである。カッカッと踵から弾き出される音が好きである。スニーカーは音を立てない。ゆえに僕がいうのはヒール部分のある革靴のことである。ビジネスの顔をしたもの、雨や雪をものともしないブーツ。安い靴は買わない。相応の値がついたものを大切に履く。
どこかの国の言い伝えにある。良い靴は良い場所へ連れて行ってくれるのだ。
そうはいっても、小学生の頃は革靴なんて大嫌いだった。母親の実家に帰省するとき、ローファーを履かされるのが嫌でしょうがなかった。
「いつもの運動靴でいいじゃないか! 足が大きくなったからきつくなっちゃったよ」
必死に言い訳的主張をしたものの聞き入れられず。国鉄時代、特急の終着駅まで乗るのはそれなりのイベントだし、成長した我が子を泥んこの靴で両親に会わせるわけにはいかないのだ。
しかし、妹の七五三のとき、写真屋さんで記念撮影をする際についに僕はやってのけた。どさくさに紛れて、用意されたローファーを押しのけ、何食わぬ顔でお気に入りのアシッ○スを履いて写真屋さんへと向かったのだ。というのも、写真屋さんは、僕の通う庶民的な市立小学校の通学路にあり、同級生に革靴を履いているのを見られようものなら「スカしてるぅ~」(=気取りやがって恥ずかしい奴、といった意味。言われると最大の屈辱)なんてからかわれるのが目に見えていたからである。
スタジオに着いて僕の靴に気付いた母はさすがに怒った。父も「なんだその靴」とあきれた表情を見せた。店の人はそんな我が家に苦笑していた。だがもう遅い。履き替えに戻るわけにはいかないのだ。僕はそのアシッ○スで両親と妹と、三脚のついたカメラの前に立った。いまでは、みんなに悪いことをしたと思っている。(注:アシッ○スに罪はありません)
その後、中学・高校とコンバースのハイカットを履いていたけれど、高校3年生になると、ミリタリーファッションの流行もあり、フランス軍に納入していたパラディウムというメーカーの靴が好きになった。ハイカットの黒いキャンバス地のアッパーと、溝の入ったゴツいラバーソールという、スニーカー+ブーツ的な組み合わせがクールだった。
このパラディウム、一時期日本の市場から消えたが、いまではバリエーションも豊かになり簡単に手に入る。だがもうフランス製ではない。ちなみにコンバースもアメリカ製ではない。
そんな高校時代、スウィンギング・ロンドンこと1960年代のロックミュージックを聴いていた僕は、勉強そっちのけでギターばかり弾いていた。ローリング・ストーンズのギタリストであるキース・リチャーズがヒーローだった。バンドも組んだし、小さなレコーディング機材を手に入れて多重録音もしていた。お昼の校内放送で自演の曲を流したこともあるし、クラスの女子に頼まれて赤面必至のポエムに曲をつけてあげたことも何度かある。(みんな「友達が書いたの」と言っていたけれど、ぜったい本人が書いたに違いない)
さて、大学進学が決まった春休み、いつも立ち寄るセレクトショップに、黒いサイドゴアブーツが置いてあるのが目に入った。「キースのみたいだ!」と手にしたブーツは、靴の聖地と呼ばれるイギリスはノーサンプトンで作られた正真正銘のブーツだった。サイズが大きすぎたけれど、くるぶしを覆うので脱げることはないし、高校生にしては高価だったけれど、進学記念に貰ったお金があったので思い切って購入した。
革靴生活の始まりである。
入学して間もなく軽音サークルに入り、髪を伸ばしてそのブーツの踵を打ち鳴らしながらギターでリズムを刻んだ。細身のパンツにも、ブーツカットデニムにもしっくりはまった。雨が靴の中にしみこむことはないし、パンツの裾を引きずることもない。僕はすっかり革靴が気に入った。
そんなサイドゴアブーツの日々(茶色も手に入れた)に、じわじわと入り込んできた新たな革靴への興味が、レッド・ウィングというアメリカ製のブーツである。通常の赤茶色の代わりに黒色のアッパーをつけた、日本企画といわれるそのモデル(RW-8179)は、クリーム色のソールとのコントラストが魅力的で爆発的に人気が出た。
芸能人の足元を飾り、どの雑誌にも取り上げられ、街で履いていると怖そうなオニイサンに本当に取り上げられるという涙ぐましい事件も起こった。もちろん喉から「足」が出るほど欲しかったが、品薄でモノ自体がなかったし、見つけても倍くらいのプライスが貼られ、しかも偽物が多く出回っていたので真贋不明という始末。泣く泣く憧れだけで終わった。
いまの若い人にはピンとこないかもしれないけれど、90年代はレッド・ウィングのほか、ナイキの「エアジョーダン」や「エアマックス」といったスポーツシューズの人気もすごく、見せびらかすように履こうものなら学校では盗まれ、街では襲撃されるといったことが度々起こった。ひどい話だが、それほど靴というものに時代がフォーカスしていたのである。
いよいよ大学も卒業に向かい、サークルも終わってバンドも解散してしまうと、サイドゴアブーツとの蜜月も解消に近づいた。レッド・ウィングのブームも去り、ほどなくして、小学生の頃にあれほど嫌がっていたローファーが懐かしくなり、リーガルのものを履くようになった。雨には少し弱いが、流行り廃りのないローファーはやはり素晴らしい。
ゼロ年代に入るとイタリアファッションの流行が起こって、どの靴売場にもつま先の長いロングノーズと呼ばれる革靴が並べられた。僕も履いたけれど、職場の同僚と足並みを揃えるため時流に乗っていただけで、特段思い入れというものはなかった。
そんな自分の足元を見つめ直すきっかけを作ってくれたのは、名優スティーヴ・マックィーンを表紙にしたとある雑誌だった。なんとはなしにマックィーンのDVDを借りた結果、そのクールさと危なっかしさにやられ、マイブーム真っ只中だったため、どストライクとばかりにすぐにレジに向かった。その号にはマックィーン特集のほかに、靴の特集も組まれていた。サイドゴアブーツやレッド・ウィング、すっかり過去のものとなっていたパラディウムまで載っている。ほかのファッション・ライフスタイル情報誌とは異なり、男らしさを前面に打ち出すという編集スタイルに圧倒的な衝撃を受けた。
僕は30代になっていたし、出版業界で生き抜くために、ここらで足元に付け込まれることのない生き方を意識しなくてはならない。
ロングノーズを靴箱の奥にしまうと、真っ先にレッド・ウィングの店へ向かい、その当時の最上位のモデルを手に入れた。RW-8179に似たフォルムだが、革がよりしなやかでソールも黒く、ブーツにしては上品な雰囲気がある。頑丈なつくりは言わずもがな、歩くと威厳のある音を立てた。
連日レッド・ウィングで過ごしていたけれど、それだけでは仕事の幅を狭めてしまうおそれもある。シーンによって使い分けるために、新たにビジネスの顔をした短靴も手に入れた。こちらはイギリス製の靴で、もちろんノーサンプトンで作られている。ロングノーズに慣れてしまった目には「普通」すぎる感じがぬぐえなかったが、しだいに気にならなくなった。美的感覚の変化である。
革靴はブラッシングやシューツリーを入れるなどの手入れをしていれば、長もちするし、面構えも良くなって自分仕様の一足になる。製法にもよるが、修理できるから使い捨てるといったこともない。エコという面もあるが、それよりも自分の足を守ってくれ、ともに歩む相棒として長く付き合えるというのが最大の魅力だ。事実、いま何足かあるうちの一足をオールソール交換に出している。
靴に対する愛着が生まれることによって、足元に気を配り、足元を固め、結果として自分が向かおうとする先へと歩を進めることになる。40代に突入して、ますます革靴に対する思いは溢れている。
良い靴は良い場所へ連れて行ってくれるのだ。
経験的に異論はない。
〈出版の窓〉
愛読していたその雑誌は数年前に休刊になってしまった。
「廃刊」ではなく「休刊」とするのは、取得困難な商品番号である雑誌コード(裏表紙にある5桁の数字)を手放さないようにするためだ、といったことがウェブに書かれている。
しかし、出版科学研究所の2006年11月24日のコラム(「雑誌の「休刊」と「廃刊」、何が違う?」)によれば、休刊した雑誌コードについて、「共通雑誌コード管理センターで2年間保留され、その間もとの雑誌が復刊しなければ、また別の新雑誌に再び使用される」とある。(注:「共通雑誌コード管理センター」は2012年の運営元移管により「雑誌コード管理センター」と名称変更されている)
また、日本出版インフラセンター「雑誌コード使用規約」(平成28年3月8日制定)第9条には、「休刊などの理由により、雑誌コードを使用する予定がなくなった場合、「休刊届」を当センターまで提出し、雑誌コードを返納しなければならない」と明記されている。
いずれにしても、雑誌コードがずっと版元に残るというわけではなさそうだ。廃刊よりも休刊とされるほうが、雑誌の作り手にとっても愛読していた読者にとっても、多少の慰めになるのは間違いのないことだろう。
《著者プロフィール》
三輪しののい
1976年生まれ。神奈川県出身。