ぷれす通信

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2015年7月号

「PRESS MAN」という選択

エディタースクールで校正を学んだとき、「シャーペンよりも鉛筆の方が校正に適しています」と指導されたので、その後何年にもわたってトンボ鉛筆を愛用していました。クリーム色の帯が入ったもの(MONO)で、箱買いして、短くなると補助軸をつけて使用。当時いた会社の引き出しの中には、3㎝くらいのトンボ鉛筆がコロコロ転がっていました。

ぷれすに入ったころに、とある雑誌で「PRESS MAN」(あえて欧文表記)という速記用のシャーペンを知り、試しに使ってみたところ、鉛筆と同じような書き味(芯は0.9㎜)ですっかり気に入り、それからずっと「PRESS MAN」で校正しています。短くなった鉛筆を捨てる苦悩からも解放されるし、なにしろ会社名が入っているのだからもう使うしかない(笑)

そんな遊び心も踏まえて使用していたら、編集部長が「僕は30年前からずっと使っているよ」と。契約スタッフの編集者、Hさんも昔から使っており、キャップがなくなったからといって替え芯(専用のものがある)の蓋を被せてオリジナリティを醸している。ちなみに、さらなる書き心地のよさを追求して今年6月、37年ぶりにリニューアルされたとのこと。(早速購入。ノックがソフト!)筆記具は仕事の必需品であると同様に、気分を浮き立たせてくれるもの。ささやかだけれども、なくてはならない相棒ですね。

追記 トンボ鉛筆は今でも「脇差し」として大切に装備

しています。

(校閲部長・山本雅範)

「つながりを求めて」……パパ友・地域デビュー

今春、子どもが中学に入学した折、「ぼく自身が学校や親どうしのつながりを持ちたい」と思い、「おやじの会」に入りました。この会は、在校生と卒業生の父親によるボランティアグループです。活動内容は「朝のあいさつ運動」(校門や通学路で登校してくる生徒とあいさつを交わす)への参加、運動会の手伝い、地域の盆踊り会場パトロール、校舎のペンキ塗り手伝いなど。すでに「朝のあいさつ運動」には2回参加。運動会では自転車で来校する人たちの誘導と安全確保を担当しました。

「つながりを持ちたい」と思ったのは、子どもの小学校時代のできごとへの反省からです。5年生のとき、仲良しの友だちとトラブルがあり、どうしたらいいか相談されました。

いろいろアドバイスし、実行しましたがうまくいかず、結局、担任の先生に相談したのでした。しかし、「先生に頼るしかないのはおかしい」という気がしました。かつては子どもどうしが仲良しなら、親どうしも顔見知りになり、直接、話ができたと思います。しかし、今は両親ともに仕事をしていて、知り合いになる機会はないし、電話番号も住所もわかりません。それで、なんらかの方法で、親どうしのつながりを持ちたいと思ったのです。

何かあっても、会の仲間に知恵を借りたり情報をもらったりできると思います。

中学生になると、親に相談しなくなるそうですが、「父さんはいろいろな人とつながってるぞ」というのを見せておくと、もしかしたら相談しやすいかも。実利を求めて始めたボランティアですが、同じ学校の生徒の親どうし=地域の人たちとの交流も楽しいものです。

 仕事にしたって同じですね。問題が起きたとき、同じ立場の人や先輩からの情報提供やアドバイス、助力で解決すること、ありますよね。少数でも、細いつながりでも、相談できる相手を持って

おきたいと思います。(編集部長・渡辺隆)

この1冊!『日本語と神道』

この1冊!『日本語と神道』

『日本語と神道 日本語を遡れば神道がわかる』

茂木貞純 著

講談社/234ページ

ISBN-10: 4062112973

ISBN-13: 978-4062112970

価格:1,500円(税別)


普段、当たり前のように使っている日本語を遡ると、思いがけないルーツに行きあたることがあります。本書は、日常の日本語の中から日本人と神道とのかかわりを探ろうと試みています。

年を重ねると口にすることが多くなる「年を取った」という言葉。この「年を取る」とはどのように使われてきたのでしょうか。現在では、誕生日を基準とした個々人の満年齢を数えることが一般的ですが、以前は、お正月を迎えた新年を基準として、皆が一斉に年を重ねる数え年が一般的でした。お正月には家族皆で年を重ね、新しい年の神様である歳(とし)神(がみ)様を家に迎えて祝っていたところにルーツがあるそうです。また、「祝う」という言葉は、元々、吉事を求めて禁忌(タブー)を守ることを意味していました。大切な人の旅の無事を願って、その人の留守中に掃除をしないことや、恋人が結んだ紐を解かずにいること

など。これが、後に幸福の訪れを祝うことに変わったとのことです。

そもそも「言(こと)霊(だま)の幸(さき)はう国」と『万葉集』でも詠われているように、古代の日本人は言葉の中に霊が宿ると考えていました。幸福を招く言葉を大切にすることから、穢(けが)れとされた言葉を別の言葉に言い換えて不吉なことを忌避してきました。血は「あせ」、病は「やすみ」、死は「なおる」などと言い換えることが『延喜式』(平安中期の律令の施行細則)でも規定されています。今でも、お祝いの席の祝辞では、おめでたい言葉を使い、縁起の悪い言葉を忌詞(いみことば)として避ける風習は続いています。

神道というと特定の宗教のことのように感じる方もいるかもしれませんが、古来、日本人の生活に根差してきた慣習・風習などの総称と言ってもよいかもしれません。本書をお読みになれば、普段使っている現代の日本語が連綿として続いてきた歴史とつながっていることに気づかされることでしょう。(い)