2014年9月号
デッドゾーン “助詞力”は大丈夫?
文章を校正しているとき、何となく言葉と言葉のつながりが変だな、と感じることがあると思いますが、その原因が、言葉と言葉をつなぐ助詞にあったことはありませんか。
よく校正を依頼される際、クライアントから「“てにをは”をしっかり見てください」と言われることがありますね。これはすなわち、「助詞」の使い方に気をつけて校正してください、ということ。たった一文字のことですが、その一文字で日本語の文章は意味がまるっきり変わってしまったり、まるで意味が分からなくなったりします。
例えば、“ジョージは友人と日本国内の観光地を見て回った”と“ジョージの友人と日本国内の観光地は見て回った”では意味が異なってきますし、“ジョージと友人の日本国内を観光地は見て回った”に至っては、まったく意味を成していません。校正者のみなさんにとっては釈迦に説法もいいところでしょうが、「助詞」は日本語を形作るうえでとても重要な役割を果たしていることが分かります。次の一文は堀辰雄の『風立ちぬ』からですが、試しに読んでみてください。
サナトリウムの南に開いたバルコンからは、それらの傾いた村とその赭ちゃけた耕作地が一帯に見渡され、更にそれらを取り囲みながら果てしなく並み立っている松林の上に、よく晴れている日だったならば、南から西にかけて、南アルプスとその二三の支脈とが、いつも自分自身で湧き上らせた雲のなかに見え隠れしていた。
助詞に気をつけて読むと、文章の意味とともに、情景も浮かんできませんか。このように一文が長い場合、助詞の使い方の適否をチェックすることでも、文章の意味が通っているかどうかを判定できるわけです。
ただ、文芸作品の校正で気をつけなければならないのは、作家によって独特の表現があること。誤りと思っても、そのまま指摘はできません。やっかいですね。
その感覚を養うためには、できるだけ多くの作品に触れ、助詞の使い方の幅を知ることでしょう。(お)
この一冊!『〈辞書屋〉列伝』
『〈辞書屋〉列伝』
田澤 耕 著
中公新書/266ページ
ISBN-10: 4121022513
ISBN-13: 978-4121022516
価格 860円(税別)
近年、辞書製作の舞台裏を扱った本が好評を博しているようです。
三浦しをんさんが出版社の辞書編集部員を主人公に書いた小説『舟を編む』(2011年、光文社刊)はベストセラーとなりましたし、昨年、NHK BSで放映された『三省堂国語辞典』の編纂者・見坊豪紀(けんぼうひでとし)氏と『新明解国語辞典』の編纂者・山田忠雄氏を取り上げたドキュメンタリー番組も、本年2月には『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』(佐々木健一著、文藝春秋刊)として書籍化されました。
今回ご紹介する本も辞書をテーマにした一冊で、辞書を作った人たちをめぐるさまざまなドラマが描かれています。本書において著者は辞書編纂者に対し、学者でも職人でもなく、あえて〈辞書屋〉なる語をあてています。そして古今東西の〈辞書屋〉のうち、ジェームズ・マレー(『オックスフォード英語辞典』)、ベン・イェフダー(『ヘブライ語大辞典』)、大槻文彦(『言海』)、照井亮次郎と村井二郎(『西日辞典』)らに光をあて、彼らが一つの辞書を編んで世に出すまでの長い苦難の道のりを、多くの文献をもとに、巧みなストーリーテラーぶりを発揮して紹介しています。
著者である田澤耕氏は、自身も〈辞書屋〉であり、元銀行員。銀行員になって2年後、スペイン語の研修生としてバルセロナに派遣され、バルセロナの第一言語であるカタルーニャ語に出合って興味を抱きます。帰国後、言語にかかわる研究者に転身することを決意し、カタルーニャ語についての社会的考察を研究テーマに大学院修士課程で学び、その後、バルセロナ大学に留学して辞書学を修め、博士号を取得しています。
本書の終章では、自身が編纂した『カタルーニャ語辞典』などの製作過程にも触れていますが、編纂者を取り巻く環境が格段に整った現代においても、長期間にわたる地道な作業なくしては辞書が完成しないことが分かります。
「辞書のこちら側」にいる一般の人びとに「向こう側」を少しのぞいてもらいたいという意図でこの本を書いた、と著者は記しています。
じつは私も最近まで向こう側をほとんど知りませんでした。この本を読んで、向こう側にいる言葉に憑かれた〈辞書屋〉たちの格闘の歴史を垣間見ることができた気がします。(O)