ぷれす通信

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2014年3月号

デッドゾーン 校正することの喜び

読書なら自分の好きな本だけを選んで読めばいいのですが、校正の仕事は好き嫌いに関係なく、いろいろな種類のゲラに当たらなければなりません。小説、エッセー、物理、数学、哲学、語学、歴史、地理、スポーツ、健康、料理レシピ、手芸、パズル……。専門的で内容の理解しがたいゲラや数値データの引き合わせ校正という単調な作業もあります。そんな仕事を前に、よりよい校正者であるためには、まず“校正すること”が好きになれるか否かが基本になってくると思います。

 好きであれば、どのようなゲラが来ようとも、そこに自分なりの喜びが見出せる。校正者として伝説的存在となっている長谷川鉱平氏(元中央公論社校閲部長)は著書(『本と校正』中公新書)で、一見して無味乾燥な鉄道の時刻表の校正でも、そこにリズムのようなものが出来てきて、それに乗ると楽しく仕事が進められると言っています。そのリズムとは「列車の進行につれて、少しずつ時間が経過してゆく。あるインターヴァルを置いて、時間が流れてゆく。校正しながら、自分も旅行しているような気分」だそうです。

 実際に長谷川氏自身、このようなリズムに乗っているところに、ある箇所の数値に違和感を覚えて何気なく青鉛筆で出した疑問が、のちに重大な修正につながった経験をしています。『歯車』(成瀬政男著、岩波全書)の校正で指摘したインボリウト函数(歯車の設計に利用される函数)表の中の数字の間違いです。函数のことなど「素人でよくわからない」同氏でしたが、「それまで連続的に増減しつつあった数字が、そこだけ、とぎれるみたいなのである。(中略)これはおかしい。」と感じた箇所でした。

 お見事というほかありませんが、夏の暑いさなか「ふっと吹き込んでくる風が、かすかにひやりと、汗ばんだ首すじに戯れてゆくのを、半意識に楽しみながら数字の列を追っている」中での発見だったのです。

 まさに、好きこそ物の上手なれ。校正の仕事が好きならば、単調な作業の中にも自分なりの喜び、楽しさを見出していくことも必要ですね。(く)

この一冊!『その日本語、ヨロシイですか?』

この一冊!『その日本語、ヨロシイですか?』

『その日本語、ヨロシイですか?』

井上孝夫 著

新潮社/222ページ

ISBN-10: 4103350717

ISBN-13: 978-4103350712

価格 1200円(税別)


本書は、校閲者の生態(?)と校閲者の目から見た日本語の姿を、マンガと文章を駆使して紹介した本です。著者は新潮社校閲部で部長を務める井上孝夫氏。とある出版社の校閲部に新人が入ったという設定で、校閲や日本語の奥深さ、面白さを井上氏自身が描いたイラストやマンガを交えて語っています。

一般的に校閲者は「日本語のプロ」「日本語の専門家」だと思われているようです。しかし、著者は「言葉に対して素人であることのプロ」だと校閲者を定義します。すなわち、日々変化する言葉に対し、「意識的に対応」していくこと。言葉とフレキシブルにかかわりながら、迷ったり、調べたりを繰り返すこと。言葉に対して凝り固まった基準で「判定をくだす」のではなく、模索する「素人」であり続けるスタンスをとること。

 こうした哲学のもと、変化する言葉とのつきあい方、なぜ作家や専門家が調べて書いたものを調べ直す必要があるのか、ルビを振ることの難しさ、旧仮名づかいの奥深さ、カタカナ表記はどうするか、等々を面白おかしく展開していきます。「そうそう!」「なるほど」「そういうふうに考えればいいんだ」と、皆さんも頷いたり学んだりできること請け合いです。章末のクイズにもぜひ挑戦してください。

 どんなに優秀な校閲者であっても、見落としや思い違いによるミスはあるでしょう。それでも、著者は「刷り直しが出るたびに校閲が辞めてたら腕のある校閲なんかどこにもいなくなる」「仕事なんて失敗して覚えるもんだ」と、マンガの校閲者を通して我々に訴えかけます。私たちも「自分はこの仕事に向いていないのではないか」と、マンガのキャラクターと同じように悩むときもあるでしょう。しかし、失敗がゲラを見る目を育てるのです。勇気をもって、今日も明日もゲラと向き合おうではありませんか。(S)