2013年10月号
デッドゾーン ゲラこそすべて
今回は、過去に先輩校正者から注意を受けたことをもとにお話しします。
ある日、私が担当したゲラを納品前にチェックしてくださった先輩から、疑問出しの文章の意味を問われました。
ゲラを指さしながら、あれこれ説明しはじめたところ「校正者はゲラへの書き込みですべてを表現しなくてはだめ。ゲラを見るだけで分かってもらえるような疑問出しじゃなきゃ、プロの仕事ではない」とぴしゃりと言われました。
私の入れた鉛筆の疑問出しが、回りくどいとのこと。
「自分が入れた疑問出しの意味を質問されるようなことがあったら、それでアウト。ゲラの書き込みが相手に伝わらなくちゃ誤りを修正してもらえないよ」
つまり、説明の鉛筆は平易・的確でなければならない、疑問
を出した箇所の何が問題であるのか、即座に分かる文でなければならない。
鉛筆の入れ方や疑問出しの方法についてのマニュアルがあれば……と思ってしまいました。もちろんそんなものは存在しません。
校正者にとって、ゲラこそすべて。
疑問出しはそれだけ奥が深いものなのです。
校正の仕事は、顔なじみやコネといったもので得られるものではありません。
納品したゲラの出来不出来によって決まるのです。
引き出し線一本たりともおろそかにはできません。
ゲラという土俵で言葉の勝負をするのが、プロの校正者の世界です。(M)
この一冊!『短歌のレシピ』
『短歌のレシピ』
俵万智 著
新潮新書/185ページ
ISBN-13: 978-4106105111
価格 680円(税別)
本書は、読者が季刊誌「考える人」に投稿した短歌を著者が添削し、32もの「調理法」を解説した本です。「えっ、それだけ?」と思うような、ちょっとした表現の変更だけで、31文字がぐっと生きてくるのが不思議です。
例えば、
いつまでもひとつ悩みが消えなくて こころに一本補助線引いた
という一首が、
いつまでもひとつ悩みが解けなくて こころに一本補助線引いた
とすることで、「補助線」の比喩が生き生きとします。
また、
シリアスになれば重荷になりそうで 好きというなら明るく軽く
という一首が、
シリアスな言葉は重荷になりそうで 好きというなら明るく軽く
と、「なれば」「なりそう」という似た言い回しが重なるのを回避することで、歌がぐっと引き締まります。
また助詞の使い方でも、文法的には「は」「が」のいずれでもよくとも、「文学的には、どちらがいいのか」を考えなければならないと書いています。一例を挙げましょう。
高瀬川桜の花が流れゆく 恋の涙も姿を変えて
という歌の中の助詞「が」を「は」にしてみると、
高瀬川桜の花は流れゆく 恋の涙も姿を変えて
となります。歌の印象が変わることに気づいたでしょうか。
著者は「短歌の上達方法は?」という質問をよく受けるそうですが、それに対して「もちろん早道や抜け道などなくて、地道な継続こそが力なりだ。たくさん読んで、たくさん詠む……シンプルではあるが、これしかない」と答えています。
校正の仕事でも同じですよね。たくさん本を読み、たくさんゲラを読む……それ以外に、上達の道はないのではないでしょうか。
五七五七七という定型のリズムに言葉をのせることは、言葉の感覚を磨くよい練習になります。本書を読めば、日本語表現の新たな扉が開かれること間違いなし! です。(S)